逃亡せよ


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ただただ空虚にナイフを向けていてもしょうがない。動き続けていないと奇跡は起きないのだ。つまらないなんて言ってる間に熱くなって飛び回ればいいじゃないか。

そして行く、初めての大阪に、そして大好きな京都に。ホテルなんてとらない。野良犬みたいにほっつき歩くのだ。さあ旅に出ろ。

先に京都で降り、樋口ヒロユキがキュレーションしたアート展へ行く。出町柳から歩いていく。天気が悪かったので気分満開というわけではなかったが、京都にいるというだけで嬉しくなる。絶対に移住したいと思いつつ年月ばかり経ってしまったが、やはり諦めるのは早いと、思いを新たにする。

そして大阪に向かい、Twitterで知り合った人の元へ行く。今までのやりとりから、話すテーマは文学やアート、音楽にジェンダーセクシャルマイノリティー、仕事に結婚に子供、そして愛について。つまりは全部だ。人生においての優先順位が高いものばかり。僕のにわか知識で大丈夫だろうか、相手を退屈させないだろうかと思いビビっていたが、いざ会ってみたらすごく楽しい夜だった。

そして驚いた。話が合う。たくさんの固有名詞を知っている。自分が知らない話にも別の角度から質問をしてくれて、一つの話題から枝葉が伸びてゆく。よくある、ふーんそれあたししらなーい、でタバコをぷか〜、なんてことはないのだ。感覚でうまく説明できないことも、自分なりの言い換えを差し出してくれる。そしてそちらのほうが、説明したかった自分の感情に近かったりした。まるで憑き物を落とすかのように言葉のシャワーを浴びせ合う。時の流れを追い越すようなスピードで。いつも独りで悶々と考え、答えが出なかったことが、同じ文脈で語り合える相手がいるだけでするッと次のステップに進める。驚きと発見、そして感謝だ。

そして2日目は京都へ。でもその前に大阪の街をほっつき歩く。僕の旅行ってはたから見るとつまらない。名所や名店に積極的に赴くわけでなく、ただやみくもに街中を歩くのだ。そして全体の空気感をつかむだけ。街全体を眺め、市井の人々の会話に耳をそばだてる。

そして午後は京都に行く。またほっき歩くのだ。2ブロックなんて当たり前。京都駅から二条くらいまでなら全然へいちゃらだ。そして碁盤の目に沿って曲がったり、気まぐれに直進したりしながら進む。興味がわいた店に入り、また次、その次と繰り返す。イノダ珈琲で休憩。そこでiPhoneをうまく操作できない母娘の旅行者が使い方おせーてよときたので操作方法を伝える。少し離れた後ろの席で、あー間違えた!押しちゃった!なんていう声がしたと思ったら、あのー度々すいませんと聞いてきたので、列車のチケット予約を途中まで操作してあげる。でも母娘の旅行っていいな。僕は男だから父息子となるのだろうが気持ち悪くて行く気しない。30分も持たない。もし一日親父と旅行するか激しい工事現場でただ働きするかの選択しかなかったら迷わずに工事現場を選ぶ。そして彼女への土産でカップを買い、最安のビジネスホテルにチェックインしたらもう夕方、ご飯の時間だ。

一人旅で一番困るのは食事である。旅先で高揚している気分をさらに増幅させる為に酒を飲みたいがなんせ一人だ。これが恋人や友人と一緒なら、彼らの好きなジャンルの店に行って、旅の印象などを語らいながら僕はひたすら飲んでいればいいのだが、一人だとそうはいかない。店もそうだし、話し相手もいないのだから。自分で6時間分のプレゼンをしなければならない。

ということでまた、この脚に活躍してもらうのだ。さっきとは違うエリアに行き、鴨川沿いのカップルに割って入ったりしながら、先斗町木屋町河原町を中心に回り、それでも一人で入れるいい感じの店がないので今度は烏丸方面、そして大宮まで下る。しかし店は無く、やはり調べておくべきだったか・・・と思いホテルに戻ろうとしたら良い感じのアイリッシュパブを発見して、それがホテルから2分の所で灯台下暗し。京野菜湯葉、やわらかい味つけに日本酒とはあまりにも遠い。レッドホットチキン3ピース、みたいな。それをギネスで流し込む、みたいな。案の定ビールを飲みまくり、思考が溶けていき、足下はふらつく。もう一度鴨川まで散歩に行こうと思ったが、酔った勢いでいちゃつくカップル達にバーカバーカなんて言ってしまいそうなので止めた。次回は店を決めてこようよ、君はいつまでも若くはないのだからという天の声。

そして3日目は本格的に京都散策。天気はばっちり、快晴。前日2時間しか寝てないのがウソみたいに元気だ。空気は冷たく陽射しは柔らかいという絶好の気候にテンションが上がる。やはり本好きとしては恵文社に行っておかねばと思い出向く。ホテルのある四条烏丸から歩いて早朝の鴨川へ。時間はまだ8時前。水面は穏やか、水の粒は光を反射、大きな伸びと深呼吸を自然としてしまう。爽やかという言葉しか見つからない。

そして大阪で飲んだ人たちから、京都に行くよ!との連絡が入ったので時間まで喫茶店へ。朝イチだからチェーン店しか開いてないのが悲しい。じゃあ時間までノートの整理やブログの下書きでもしようかと思いiPhoneを取り出すが、画面が真っ暗なまま何も反応しない。おかしいと思い、いろいろいじるが反応無し。嫌な汗が滲み、さっきの爽やかさはどこかへ行ってしまった。電源はもちろん、いろんなボタンを様々な組み合わせで押したりしてもダメだった。SIMカードだ!と思ってようじを使ってSIMを抜き差しするも反応なし。バッテリーケースを外しても、水のグラスを使って冷やしても変わらない、しまいにはう・ご・けぇぇぇぇぇぇと念じながら上下左右にシェイクする始末。どーしよう、待ち合わせできない。連絡先は携帯の中だけだ。バカッ、俺のバカ、なぜメモっておかないのだ。念には念をだろ?だから詰めが甘いんだよいつも。自分に対する呪詛の言葉しか出てこない。はい、しゅーりょーっ!というホイッスルが鳴り、うなだれてトイレに行き、石鹸を使って潔癖性かお前くらいの勢いでなぜか手を洗い、戻ってメインのボタンを押したら、ハイッ拷問タイム終了!とばかりにパッと明るくなる。チビりそうとはまさにこのこと。1時間のM男体験。

恵文社はさすがの品揃えで、その空間には独特の雰囲気を宿していた。棚が低く全体を見渡せるだけでどうしてこんなに開放感があるのか。ジャンルに縛られない陳列。僕の好きなシュルレアリスム関係書はかなり充実していて、私家版の冊子も多数ある。雑貨、アクセ、文具、キッチン、それぞれのボリュームも良い感じ。つまりは一日中いても飽きないということだ。住み着きたい、ここに。

待ち合わせもできて、のち嵐山方面を案内してもらったり、僕のTwitterネームに似たブックカフェに連れていってくれたりで充実の一日。一人だったらまたひたすら歩き回ることとなっただろう。

前回の下田に続き今回の逃亡も大成功なのでした。


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「罪と罰」漫F画太郎


画太郎先生画風変えたのかな?
そう思いながらもつい習慣でレジへ。
画太郎先生の漫画だけは必ずカバーをかけてもらう。
ポルノ雑誌を剥き身で持ち歩くような不安があるから。

ドストエフスキーの「罪と罰
新訳版も大ヒットし、あらゆる媒体で特集されたあの名作だ。
画太郎先生はそれをどう料理するのか、いやでも期待が高まる。

しかし画太郎先生を読んだことのある人ならわかると思うけど、
案の定一筋縄ではいかない作品になっておりました。

いつものババア、肉体損傷、糞尿、軟膏、そしてあのパカーんと開かれた暁光。
表紙はイラストレーターに描いてもらうという詐欺的な離れ業。
ラスコーリニコフはエビ山エビゾーと名を変え、笑えるパンク仕様になっている。
ストーリーも枠組みは借りていれど、大きく逸脱していく。
その画、展開。汚穢が自分の顔に塗りたくられるようなような大写し、すべてがスリリングだ。

巻末には吉田大介による本巻の読解がかなりの分量ついている。こちらも楽しく読めるだろう。

多くは語るまい。是非その目で確かめて下さい。トラウマ必死ですよ!

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君がいなくなったんだ


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面影が朽ちていくのを感じろ。過去を食べ尽くして振り返る過去を無くせ。そんな気持ちが充満してきたのでサクッと足取り軽くどこかへ逃亡しようと思い、近場へ逃げる。それは伊豆だ。半島、と書くとそれらしく聞こえるじゃないか。その突端の下田へ行け。まずは電話だ、俺には足がない。半島を爆走するためのマシン。そしてメールだ。前のバイト先で仲良くなった変態M君に、明日行こう、下田へ、俺らは海に近い街に住んではいるが突端、その、陸の端っこに立つことが大事なんだと叩いて送信。あっ、ガス代は僕が持つからね、と忘れずに。

互いの二度寝を経由して出発したのは1時。大丈夫か。地理に疎い僕はM君に頼りきりなんだけど、M君いわく、高速とか乗っちゃえば大丈夫ですよ、とのことなのでそのまま出発。秋晴れの快晴、紅葉の祝福をまとったまま車は走る。

ルート134。この名前から思い出すものはみなそれぞれだと思うが、僕の場合は昔聴いていた杉山清貴の曲を思い出す。んー、何だかなぁ、さえないなぁ、と思えど身体に染み付いた過去をバリバリ引き剥がすことは難しい。過去を食べ尽くすのだからまあいいかと思う。剥がして食らえ、まずけりゃ捨てろ、どんどんと。その景色から海岸線、光、乱反射、プリズム、なんて単語が頭をめぐり、プリズムという言葉からまた杉山清貴に戻ってしまう「プリズムレインに包まれて」という曲があるのだ。こうなるともう駄目だ、さよならオーシャンとか、風のロンリーウェイとか、ここ10年以上思い出したことのない単語がズバズバ記憶庫から溢れ出す。BGMをクレイジーケンバンドに変えてなんとかしのぐ。

小田原、熱海と経由していよいよ伊豆半島へ突入。高速は残念ながらなかったのだが、そのまま海岸線をひた走る。右手には陽を受けて柔らかくも力強い山々、左には波間ゆらめく海。そのサンドイッチ状態でテンションが上がる。車がない自分はドライブの楽しみを知らないが、ようやくわかった気がする。同じ景色を速度を変えて見ることで心に生まれる印象は変わる。その一つの能動的手段。さらにはその景色を形容する言葉さえも変化して、あれっ、こんな形容の言葉を自分は持ち合わせていたっけ?と。得した気分。

景色の写真や動画を撮る行為は、その目的がただの鑑賞ならば、素人が自分で撮ったものより、プロが撮ったものを見たほうが出来がいいし、より大きな感動が得られるでしょう、と今まで思っていたが、自分のことを考えたらその衝動に対する答えがわかった。うまく言葉にならない気持ちを写真を撮ることで代用しているのだ。その美しさに対して何かアクションしたいというウズウズした気持ち、そして無意識の敬意も。

しかし先は遠い。出発地点から目的地までの距離は140kmもあるのだ。しかしこの距離感がいい。目的地はない、ただ下田に逃亡するのみ!という僕にM君は、とりあえず灯台があるみたいだからそこに行きましょうと言って調べてきてくれたのだ。いいじゃないか灯台、まるで古川日出男の小説みたいだ、犬吠埼ではないにせよ。そして熱海からはまだ80km以上あるのだ。夕暮れに間に合うのか、海の向こうへ沈む、いや、かの詩人にならって言えば、海に溶ける太陽、いや太陽に溶ける海?水平線、だっけ?まあどちらにしよ僕らは先を急ぐ必要がある。本当なら酒の好きな僕らなのだから、一杯引っ掛けたいところ。まあそれはダメだからハンター・S・トンプソンを気取ることもできない。となると景色+メシが最大の楽しみだろうさ。25歳食べ盛りのM君には美味しい海の幸をおごってあげよう。

さらにうねる海岸線。バイトを辞めた僕と未だそこに留まるM君との会話は仕事の話が中心になる。職場を楽しくしようという気がないんですよ彼らは!と激昂するM君をまぁまぁとたしなめたりするんだけど、いや待て。

仕事場は遊ぶ場所じゃないと思うのは当然だ。雇い主の決めたルールを守りながら労働力を提供しその対価を貰う。その職場の雰囲気というのはあらかじめ決められている場合もあるが、ほとんどはそこに集う人々によって後天的に作られるものだ。ならばその職場が楽しい場所になるには、そこにいる人たちがそう意識し、行動する必要がある。社員vsバイト君という対立構造はどの職場でも多かれ少なかれあると思うが、バイト君たちの間だけでの決まりごとや、辛い仕事をやり過ごすために、ルールは守りつつ楽しむ方法が自然にできあがっていることもよくある。

しかし管理する側、社員やバイト長なんかがもっと楽しい職場を作り上げるということに対して労を費やしたら、職場環境は劇的に変わるのではないか。楽しむ方向へ加速度がついて、小さな意見も拾い上げられるのではないか。禁止する方向ではなく容認する方面へ進んだりしないか?決定権をもった上司ってのは実は、自分がひたすら働いて下の連中からバカにされないということを意識するよりも、自分が何を決定・実行すれば彼奴らは楽しく仕事ができるのかを考えたほうがいいのではないか。文章にするとまどろっこしいが、そんなことが一瞬で頭の中を旋回する。そうだM君きみのいう通りだね。僕らはもっと楽しくする方法を考える必要がある。上司や年上は寛大さが必要だ。調整・激励・慰撫、それを合言葉にしよう。ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワンと連呼するようにだ。

これを書いているいま12時をまわって気づけばこの喫茶店は満席だ。半分近くは老人だ。真新しい太陽にフェンスをよじ登らせろ!というメッセージが耳に飛び込む。

海、山を繰り返し、時々町が顔を出す。ここは風情があるね、こちらは開けているけどチェーン店ばっかだな、やっぱり泊まりで来るべきだったなというM君に対して、いや明日バイト休めばいいじゃん、今日泊まって夜はしこたま飲んで、美味いもん食い散らかして君の好きな、お姉ちゃんがいる店にしけこんで地元のおっちゃんといっしょにスナックでカラオケでも歌おうぜ!と提案するが、いやー仕事は休めないっしょ、給料出たらまたきましょうよと言う。

これだから若いもんは・・・なんて口をつきそうになるが止めた。時代は変わる。僕らがフリーターになりたての時期、バイト先はいくらでもあった。フリーターはまさしく「自由」好きにできるという意味合いを持っていた。だから休む連中なんていっぱいいたし、それを周りのバイト同志でフォローしあってたけどな。その感覚がまだ完全に消えていない僕としては、このテンション、ほんの一瞬芽生えた気持ちにディストーションかけないでどうするんだお前!と思うけど。夢想家だった僕らはつねに新しい星座を探していたのだよ。脈打ちながら。その成れの果てがいまなんだけどね。

しかし景色には流浪という言葉がよくに合う。海沿いのカーブを流れるように走り、突然山の中に道は引き込まれ、そのまま油断しながら走っていくと、下り坂を抜けた先がまた海沿いの道に連なっていて視界は一瞬で祝祭的に開けてくる。流れに乗っていることの喜びがこれでもかとおそいかかる。景色そのものが自分を飲み込んでしまう。身を委ねる快感に満ちている。

そんなこんなを繰り返し夕暮れ、滑り込みセーフで僕らは灯台にたどり着く。車を停めて時間も止める。400m先にあるものは何だろうと思って歩く、しだいに小走りになる。腹の贅肉がぶるるぅんっと揺れる。着いた、完全に、踏んだ。真っ白な灯台の先に地平線、その先には想像上の世界が広がる。方角は無視してベニスの街を、リスボンの白を、アルゼンチンのつきぬけた荒野を、ツンドラの豪雪地帯を、カンヌのレッドカーペットを、南フランスのワイナリーを、スペインの港でぞんざいに手渡されるサバのサンドイッチを思う。煙草をふかす、写真も撮る。先客の高校生に見える彼は一人ぽっちで、登っちゃいけない灯台のへりに腰かけて、音楽を聴きながら携帯をパチパチ開いては閉じため息をついている。きっと恋が行方不明なんだろう。その動作は出されたかどうかわからない手紙を抱えて走るポストマンに早く早く!とけしかける彼の心の声だ。配達人はまだ到着していない。

帰りは海岸線のルートを離れ、山の中心を走る。街灯は消され、家が点在する暗闇に近い峠を越える。いつまでも続く勾配と蛇行。日常の感覚が麻痺してくる。夕方6時前だというのに閉まっている店も多い。山あいの温泉街はひっそりと息をしていた。誰かが少し大きな声を出したら、ひゅうっと風が吹いてそれをたしなめるような静寂を整理する街。

そしてまた日常に戻る。8時間だけの逃亡劇。逃げきれなかった僕はいつもの場所で飲み始める。アルコールで頭を溶かしながらも心は溶けないように体験のパラシュート部隊を記憶庫に着地させる。鍵は閉めない、いつでも登場してもらう。そしてその記憶に導かれながらまた逃亡したくなるのを待つ、というか自らけしかけるのだろう。俺は酔っちゃったら何もわかんないからさぁとカウンターにだらんとしているおっちゃんと、ワインメーカーで開発を担当している彼に挟まれて、何故葡萄だけがこんなに味わいの違う、多種多量の、他の果実では実現できないワインというものに変わるのだろう、なんて話をしながら。こちらの夜には静寂という言葉はない。


【今日の一曲】
ディア昔の人〜という歌い出しから始まるこの曲は感傷的なこの季節にはぴったりだ。時は優しい。そしてぎこちない。
http://www.youtube.com/watch?v=pejl5a98_PQ&feature=youtube_gdata_player

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おはようおやすみを繰り返しながら。

8月末まで派遣で働いていたが、同時期に辞めた女の子と昨日会って近況報告をした。約二ヶ月経つが、まだ仕事が来まらず苦戦しているとのことだ。

飲みながら話を聴いていると、不採用の通知をもらうたびにどんどん自分が価値のない、いてもいなくても同じだと思えてきたと言う。正社員になるのはきついと聴いていたが、アルバイトや派遣でさえも通らないので、バイト・派遣・正社員関係なく受けまくって、きまったのは2件。一つは期限付き時給900円の事務、もう一つは牛丼チェーンのバイト。

自信を無くすのも当然だと思いながら飲んでいたが、来月からバイトでも探そうかと思っていた自分はどうなるのだろう?とにかく励ますだけ励まして帰ったが、やはり仕事が無いというのはここまで精神的に負荷がかかるんだなと実感した。チャーミングでモテモテだった女の子だったのに、落ち込んだその姿はマニキュアが剥がれた爪のような、デコレーションの粒がぼろぼろはげ落ちた携帯電話のような、中途半端な輝きが痛々しかったのだ。年も25と若く礼儀もわきまえているし、第一印象などは知り合いということを引いても格段に良いのに。

僕が小売店の店長だった時いくつかの面接をやったが、その時はひどかった。平気で遅刻して悪びれない奴、手ぶらで履歴書をジーンズのけつポケットにつっこんでくる奴、音楽を聴きながらやってきて目の前でイヤホンをしまう奴。突っ込んだ質問をしてたじたじになったので本当はその仕事やってないんじゃないのと聞くとスイマセンと謝る奴。いつから働けるかと聞くと、もう一つ採用待ちがあるのでその答えが出てからだというので、じゃあもう一つのところ受かったらそちらに行くの?と聞けば、元気よくはいっ!と答える奴。

小さい店のスタッフ募集の面接だったので、そんな特別なスキルは必要なく、家がそこそこ近くで普通に受け答えができればすぐに採用したかったのに、一人として普通の人がいなかったのだ。おかげで募集広告を二週間にのばさなければならず、余計な経費がかかったのを覚えている。

人とコミュニケーションをとるのが苦手だという人は一定数いるだろう。営業職をやる前の僕もそうだった。人と目を合わせて会話するのが苦手で、職場で些細なトラブルがあって誰のせいだ!なんて声があがると、自分じゃないかとおどおどしていた。弱気な自意識過剰。

そして、営業職だった頃は社内に物流部門があって、10〜20人ほどのアルバイト・派遣さんが働いていた。一癖も二癖もある連中が多く、あきらかに人とコミュニケーションできない人もいた。しかし物流だと、商品をピックアップして箱に入れて梱包する、といった手順なので、黙々とやっている奴のほうが評価されやすい。一日中ほとんど口を開かず、でも手先は器用で、同じ時間で人の倍の梱包ができるバイト君は神と呼ばれていた。逆にベラベラしゃべるムードメーカーの人は裏で、あいつ仕事できないからなぁ、と陰口を言われていた。本当に必要最低限のルールを守って、まじめに働いていれば存在価値もあるし、評価対象にもなる。ムードメーカーと、黙々と働く内気な人とバランスがとれていてよかった。

不況下で工場がどんどん閉鎖されて、今まで派遣でやっていた人たちが就職市場に一気にあふれて、あまり得意でない業種の面接を受け始めているのではないか。特に僕と同じ年代の30代後半。この世代は人数も多い。コミュニケーションが得意でない人が仕方なく営業職募集の会社を受けたり、事務系だった人が接客業を受けたり、少ないパイに人が殺到するからカオス状態だ。

条件の悪いところでも仕事がないよりまし、時間が余っているからとりあえず受けるという人も多いだろう。僕が前に面接を受けた広告会社の面接官も、とにかく募集すると人が集まりすぎるので面接するのが嫌になってくると、申し訳ないのと面倒くさいのとをミックスしたような表情で言っていた。面接官も人だからしょうがない。就職活動はアパート探しと同じく、運に左右される場合が多々ある。

物作り、物流、工場など大量に人が必要な産業が盛り返してくれるといいんだけどなかなか難しいのだろうか。

あと、職安で1時間待ってパソコンの検索する人は何を考えているのだろう。家で検索して番号控えていきなり紹介してもらえばいいのに。あとは職安の外の喫煙所コーナーで缶チューハイ飲んでるのも驚きなんだけど。

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「美神の恋」山口路子


酔った頭でジャニス・ジョップリンとか聴いてると酔いが加速するな。あの時代のサイケデリックは混乱を増すために作られたとしか思えん。ぐんぐん加速する血中アルコール濃度、そしてそれをほうっておきながら、無意識下では、もっとだもっと!と酩酊まっしぐらだ。

サガンの映画を見た後に、もうちょっと彼女について知識を得たいと思って山口路子の文庫を購入した。その後彼女の名前は忘れていたのだけど、最近少しづつ読み進めているアナイス・ニンの日記にかなり心を持っていかれていて、40男が気持ち悪いかもしれないけれど、そのアナイスの気持ちにかなり感化されていて、どうしようもなく彼女が愛おしい。それで、誰か男子でアナイスの日記に夢中になっている人はいまいかと検索していろんなブログや書評を読んでいたら、引っかかったのが山口路子のブログだった。

ああ、サガンの人ね、と思って読んでみると、アナイス・ニンへの極度の偏愛に満ちた記事が多数出てきて、その切実さがバシバシ伝わってきて、一気に、そして勝手に同士の握手をしてしまったのだ。そして図書館にて彼女の著作を借りてきては読んでいる。

「あなたが傑作をものにしたら、そのとき結婚しましょう」と言ったのは、画家ココシュカと恋に落ちたアルマだ。アルマはクリムトと最初の、ファーストキスをした後、様々な男遍歴を重ねる。作曲家ツェムリンスキーとの恋をを経て、23歳であのグスタフ・マーラーと結婚するのだ。マーラーは哀れなまでにアルマに執着、「彼女は私を愛している!この言葉に私の人生すべてが含まれている。この言葉が言えなくなったとき、私は死ぬだろう」とまで高らかに宣言している。魔性の女とはまさに彼女のことにほかならない。そしてアルマとマーラーの結婚は8年で終止符を迎える。アルマが建築家のグロピウスと恋に落ちたからだ。そしていろいろないざこざを得て、アルマは32歳でココシュカと出会うのだ。そしてアルマに夢中になった25歳の年下男ココシュカはアルマにさいさん結婚をせまる。そこでアルマが言った一言が冒頭の台詞である。恐ろしい。そして才能の承認を受けたココシュカはアルマの言葉に刺激され描きまくり名作をものにしていく。そしてアルマはココシュカの子を妊娠するが中絶。絶望のココシュカは志願兵となり二人には別離がやってくる。しかし話はここで終わらない。アルマはココシュカと別れたあとも恋の遍歴を重ねていく。そしてアルマが70歳の誕生日に一通の電報が届く。

「愛しいアルマ、僕たちは「風の花嫁」のなかで永遠に結ばれているのです」

忘れがたき人。この形容ほど自己本位な女を当然とさせるものはない。そしてたいていの女は自己本位なのだ。そう山口は書く。このエピソードに魅了されていることがありありとうかがえる一文だ。そして続けてこう書いている。

一度は愛したひとから、ずっと後になって「貴方は忘れがたき女だ」と書かれた手紙をもらったりしたら、私なら甘美な満足感にひたる。若き日の思い出を反芻し「彼と私は実生活は別だけれど、やはり精神的には結ばれている」と胸を熱くする。

その後なぜアルマはこれほど男を虜にしたのか、という分析が続く。これはエピソードのひとつだけど、それ以外にも画家とミューズのエピソードがたくさんおさめられている。モディアリー二、ピカソレンブラントクリムト、シーレ、モネ、マグリット、ルドン、ロートレックルノワール・・・etc

それぞれの画家に対しての基本的な情報、その生涯などを知りたい人には不向きだと思うが、恋愛にからんだエピソードを知りたい人には格好の一冊だ。芸術家の創作のエネルギー、それは恋愛によるところが大きい、ということがまぎれもない事実として露呈する本である。しかも作者の山口が自分を重ねて思い入れたっぷりに語るのだから、これはもうお腹いっぱいの一冊だ。しかし愛とは何なのか、その疑問が募るばかりで、あこがれと面倒くささとが入り交じった複雑な気持ちになる。そして、でもしかし、この世で誰もが必要な恋愛、しかも熱烈な思いをこうまで列挙されると、人生が狂ってしまうほど恋焦がれたいという思いが芽生えてくるのも確かなのだ。


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「上野先生、勝手に死なれちゃ困ります」上野千鶴子・ 古市憲寿


最高に面白かった。この充実した対話が新書で読めるなんて信じられない。


◎ 内容説明(Amazon
ベストセラー『おひとりさまの老後』を残して、この春、東大を退職した上野千鶴子・東大元教授。
帯の名文句「これで安心して死ねるかしら」に対して、残された教え子・古市憲寿が待ったをかける。
親の老いや介護に不安を覚え始めた若者世代は、いくら親が勝手に死ねると思っていても、いざとなったら関与せずにはすまない。
さらに、少子高齢化社会で、団塊世代による負の遺産を手渡されると感じている子世代の先行きは、この上なく不透明。だとすれば、僕たちが今からできる心構えを、教えてほしい......と。これに対し、「あなたたちの不安を分節しましょう。それは親世代の介護の不安なの? それとも自分たち世代の将来の不安なの?」と切り返す上野。
話は介護の実際的な問題へのアドバイスから、親子関係の分析、世代間格差の問題、共同体や運動の可能性...etc.へと突き進む。
30歳以上歳の離れた2人の社会学者の対話をきっかけに、若者の将来、この国の「老後」を考える試み。

◎ 目 次
上野先生、勝手に死なないでください!(古市から上野先生への手紙)
この本の読み方(古市憲寿)
第1章 何が不安なのか、わからない、という不安
第2章 介護という未知のゾーンへの不安
第3章 介護保険って何?
第4章 それより自分たちのこれからのほうが不安だった
第5章 少子化で先細りという不安
第6章 若者に不安がない、という不安
第7章 不安を見つめ、弱さを認めることからはじまる
古市くんへ(あとがきに代えて 上野からの返信)

自分の老後の不安、そして親が老いることの不安。今はまだ大丈夫だからと、必ずやってくる問題を先延ばしにして生きてきた自分にとっては、かなりグサグサ突き刺さる内容だった。

古市憲寿の語り口が柔らかいのがいい。友達と話しているような親近感。学術用語も出てくるが、注がついてるので安心。その注も古市本人が書いているのか、とてもわかりやすい。

古市の疑問を上野は明快に答えていく。最初に記される古市の不安の中身、そのカテゴライズの見事さ。

・親子関係が徐々に変わっていくことに関する「関係不安」
・実際に介護が始まっちゃったらどうなるかということに対する「介護不安」
・その時、お金はどうすればいいのかという「経済不安」
・サービスはどうすれば調達できるのかっていう「制度不安」
・それに絡んで、自分はどこに住むのか、同居しなければいけないのかという「同居不安」
・そしてその際、仕事はどうするのかという「就労不安」
・さらに、親が要介護状態になったあと、親の生き死にまでを含めたいろいろな意思決定を、どう引き受ければいいのかっていう「意思決定不安」
・その意思決定を自分がやるしかないことへの絶対的な「孤独への不安」・・・

この道しるべがあることで、対談の目指す方向がよりクリアになり、風通しのよいものになっている。僕らは古市と同席しながら上野の話を当事者として聞くことができる。

そして古市の専門である、現代の若者像に関する対話も流れのなかで出てはくるが、あくまでも介護不安に答える、という軸があるので、話が散漫にならずきちんと帰結する。

何とかなるだろうでやってきた自分としてはかなり厳しい話が続くが、目を背けずに読めたのは、古市のこの語り口のおかげと、上野のチャーミングさによるところが大きい。

本書を読んでもすぐに答えは出ないだろう。しかし、いざという時の準備をするための明確な答えがある。今のうちからひとつづつクリアして自分を安心させておくことはできるだろう。

実際役に立った部分といえば、介護保険と介護に関する制度の説明だった。実際に自分で調べればわかることだけれども、それを知ってる人に説明してもらうのとは雲泥の差がある。細かいニュアンスがよく伝わるので、まずはそれがどういうものかというざっくりとした理解を得てから、実際に調べることができたのはかなりありがたい。

古市が常々思っていること、その自己中心的な考えも、やり過ぎじゃないの?とこちらが心配してしまうほど開陳されている。この内容も、今の若者の本音として知ることができたのも収穫かもしれない(てめぇ、わがまま過ぎ!と最初は思ったけれど)。

読んで面白く勉強になる。そして「老いる」といことを前提に、人と人が関係することにおいて大切なことがたくさん書かれている。様々な問題に対していかに「ソフトランディング」していくか、その手段が明確になっている本書は、全ての人に読んでほしいと心から思ったのです。

上野先生、勝手に死なれちゃ困ります 僕らの介護不安に答えてください (光文社新書)
上野千鶴子 古市憲寿

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彫刻の森美術館


アートのジャンルの中でも、一番興味がわかなかったのが彫刻の分野だった。ロダンの考える人が有名だと思うけど、幼い頃から何度もTVや本で見ていれど、心を揺さぶられることは一向になかった。

なんで箱根彫刻の森美術館に行こうと思ったのか、自分でもわからない。ただ距離を移動したかったにすぎない。阿佐ヶ谷から藤沢に引っ越して2年。静岡方面が近くなったにもかかわらず、伊東や下田、三浦海岸、箱根などの観光地に行ってなかった。ビュフェ美術館のある三島と、その帰りに途中下車した熱海だけだった。

なので箱根に行ってみようと思ったが、温泉でゆったりする、ということにあまり魅力を感じない自分としては、日帰り温泉なども興味がない。だから唯一好きなアート、美術館ということで彫刻の森になったのだ。

小田原から登山鉄道、ケーブルカーと乗り継いで現地に向かう。小田原の駅からは乗車しているほとんどの人が年寄りか外国人だった。温泉地っぽい布陣だ。とたんに観光地に来たのだという実感がわく。

電車が一駅止まるたびに標高が上がっていく。気づけばゆっくり進むケーブルカーからの眺めに心奪われている。勾配を上がっていく新鮮な感じ。見所に差し掛かると社内アナウンスで教えてくれる。

そして美術館へ。むかし、彫刻の森美術館のTVCMが深夜に流れていて、その音楽が怖くてしょうがなかったのを思い出す。ゲートをくぐると、高台から山の斜面がパノラマに広がり、一気にテンションが上がる。標高1000メートルもいかないが、いきなり寒い。CMで印象的に映っていた、両手両足を広げたたくさんの人が連なる彫刻は出口付近にあった。

そしていろんな彫刻を見ながら散歩する。秋晴れの快晴だったので冷たい風も心地よく、普段はとらない写真もバシバシとりまくる。彫刻家の名前や作品は知らないものばかりだが、どの作品にも重厚感があり素晴らしい。その大きさ、ブツとしての存在感、想像する重量、ああこれが彫刻の世界なんだと体感する。

園内にはピカソ館が別途あり、ピカソが好きな方は嬉しくてしょうがないかも。その他、子供用だけど、アスレチックのように登ったりぶら下がったりできる展示もあり、こりゃ子供達は楽しいだろうな、思いっきり走っても大声でキャッキャしても大丈夫だし景色はいいし、何だかわからない彫刻がそこここにあって目まぐるしいし。

そしておみやげに草間弥生のTシャツといろんなポストカードを買う。ピカソのポストカードは年代順に100種類以上販売されていて、それを眺めているだけでもピカソの創作スタイルの変化が見てとれる。これもピカソなの?というものを数枚手に入れて嬉しくなる。普段の買い物に比べて、アートグッズを買う時の心持ちは他の何にも比較できない喜びがある。芸術というおよそ役に立たないもの、しかし心の動かされ方は異常な、この芸術を自分の生活に参加させること。

そして別館の展示でジャコメッティを発見する。彫刻に興味が無くとも、あの大作「エクリ」に刺激された者にとってはジャコメッティの名は特別だ。ひょろっと長い、心もとなく天に吸い込まれていくような極限のフォルム。この「腕のない女」にしばし見とれる。TELEVISIONの「ビーナス」が脳内で再生される。そしてその曲が引用されるスティーエリクソンの小説も頭をかすめる。ビーナスの腕に抱かれた〜、その逆説的な意味。

見事にあてられた。近々世界堂で粘度を購入するだろう。およそ彫刻ではないが、自分の手を使って立体的なブツを作り上げること、それがどんな気分の高揚をもたらしてくれるのか、今から楽しみだ。

時間がまだあったので、交通費はかかってしまうけれどそのままケーブルカーに乗ってさらに上へ。途中からはロープウェイに乗り換え芦ノ湖を目指す。小学生の時に大湧谷にきたことを思い出すが、硫黄の匂いが再生されるだけで、その景色はよみがえってこない。

しかしロープウェイのあの怖さ!年をとるごとにジェットコースターなんかも怖くなってきた自分としては、ただロープにぶら下がっている状態が怖くてしょうがなかった。そして左右にぐらんぐらん揺れる機体は隙間からビュンビュン風も入ってくるし。乗り合わせた8人のお客の中で元気だったのは子供とタトゥーの入った外人の兄ちゃんだけだった。

そして芦ノ湖。山の中にこんなだだっ広い湖があることが驚きだ。中国の奥地、枯山水みたいだ、とまではいかなくとも異様な静寂に包まれている。湖を囲むように道路が走り、周囲は約19キロ。ぜひこの周りを自転車で走ってみたかった。今度輪行しようかな。ロープウェイの終着地から船に乗って箱根の中心地へ。

帰りは箱根の山を下るので、バスにしてみた。行きはもろもろ含め2時間ほどかかったが、バスだと小田原駅まで40分ほどで少し拍子抜け。でもあのうねうねとカーブが続く道はスリルもあって走りがいがあるのだろう。自分は免許を持ってないけれど、この下りを是非自転車で走ってみたい。

バタバタと駆け抜けた一日だったけど、11時に出て、夕方7時前には家に着いた。意外とコンパクトに楽しめたみたいだ。車があって温泉が好きで彫刻にも興味ありありよ、とい人にはオススメです。


【今日の一曲】
ジャコメッティから想像させられたTELEVISIONの「ヴィーナス」を。未だ色あせない普遍的な名曲だと思います。
http://www.youtube.com/watch?v=4f3d5ZdE4vY&feature=related

表紙のインパクトも素晴らしい本書は芸術とともに生きたジャコメッティの全てがつまっている
ジャコメッティ/エクリ
アルベルト ジャコメッティ Alberto Giacometti

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このソリッドな音、メタリックな声、神経がむき出しになったような曲の数々。
Marquee Moon (Dig)
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