君がいなくなったんだ


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面影が朽ちていくのを感じろ。過去を食べ尽くして振り返る過去を無くせ。そんな気持ちが充満してきたのでサクッと足取り軽くどこかへ逃亡しようと思い、近場へ逃げる。それは伊豆だ。半島、と書くとそれらしく聞こえるじゃないか。その突端の下田へ行け。まずは電話だ、俺には足がない。半島を爆走するためのマシン。そしてメールだ。前のバイト先で仲良くなった変態M君に、明日行こう、下田へ、俺らは海に近い街に住んではいるが突端、その、陸の端っこに立つことが大事なんだと叩いて送信。あっ、ガス代は僕が持つからね、と忘れずに。

互いの二度寝を経由して出発したのは1時。大丈夫か。地理に疎い僕はM君に頼りきりなんだけど、M君いわく、高速とか乗っちゃえば大丈夫ですよ、とのことなのでそのまま出発。秋晴れの快晴、紅葉の祝福をまとったまま車は走る。

ルート134。この名前から思い出すものはみなそれぞれだと思うが、僕の場合は昔聴いていた杉山清貴の曲を思い出す。んー、何だかなぁ、さえないなぁ、と思えど身体に染み付いた過去をバリバリ引き剥がすことは難しい。過去を食べ尽くすのだからまあいいかと思う。剥がして食らえ、まずけりゃ捨てろ、どんどんと。その景色から海岸線、光、乱反射、プリズム、なんて単語が頭をめぐり、プリズムという言葉からまた杉山清貴に戻ってしまう「プリズムレインに包まれて」という曲があるのだ。こうなるともう駄目だ、さよならオーシャンとか、風のロンリーウェイとか、ここ10年以上思い出したことのない単語がズバズバ記憶庫から溢れ出す。BGMをクレイジーケンバンドに変えてなんとかしのぐ。

小田原、熱海と経由していよいよ伊豆半島へ突入。高速は残念ながらなかったのだが、そのまま海岸線をひた走る。右手には陽を受けて柔らかくも力強い山々、左には波間ゆらめく海。そのサンドイッチ状態でテンションが上がる。車がない自分はドライブの楽しみを知らないが、ようやくわかった気がする。同じ景色を速度を変えて見ることで心に生まれる印象は変わる。その一つの能動的手段。さらにはその景色を形容する言葉さえも変化して、あれっ、こんな形容の言葉を自分は持ち合わせていたっけ?と。得した気分。

景色の写真や動画を撮る行為は、その目的がただの鑑賞ならば、素人が自分で撮ったものより、プロが撮ったものを見たほうが出来がいいし、より大きな感動が得られるでしょう、と今まで思っていたが、自分のことを考えたらその衝動に対する答えがわかった。うまく言葉にならない気持ちを写真を撮ることで代用しているのだ。その美しさに対して何かアクションしたいというウズウズした気持ち、そして無意識の敬意も。

しかし先は遠い。出発地点から目的地までの距離は140kmもあるのだ。しかしこの距離感がいい。目的地はない、ただ下田に逃亡するのみ!という僕にM君は、とりあえず灯台があるみたいだからそこに行きましょうと言って調べてきてくれたのだ。いいじゃないか灯台、まるで古川日出男の小説みたいだ、犬吠埼ではないにせよ。そして熱海からはまだ80km以上あるのだ。夕暮れに間に合うのか、海の向こうへ沈む、いや、かの詩人にならって言えば、海に溶ける太陽、いや太陽に溶ける海?水平線、だっけ?まあどちらにしよ僕らは先を急ぐ必要がある。本当なら酒の好きな僕らなのだから、一杯引っ掛けたいところ。まあそれはダメだからハンター・S・トンプソンを気取ることもできない。となると景色+メシが最大の楽しみだろうさ。25歳食べ盛りのM君には美味しい海の幸をおごってあげよう。

さらにうねる海岸線。バイトを辞めた僕と未だそこに留まるM君との会話は仕事の話が中心になる。職場を楽しくしようという気がないんですよ彼らは!と激昂するM君をまぁまぁとたしなめたりするんだけど、いや待て。

仕事場は遊ぶ場所じゃないと思うのは当然だ。雇い主の決めたルールを守りながら労働力を提供しその対価を貰う。その職場の雰囲気というのはあらかじめ決められている場合もあるが、ほとんどはそこに集う人々によって後天的に作られるものだ。ならばその職場が楽しい場所になるには、そこにいる人たちがそう意識し、行動する必要がある。社員vsバイト君という対立構造はどの職場でも多かれ少なかれあると思うが、バイト君たちの間だけでの決まりごとや、辛い仕事をやり過ごすために、ルールは守りつつ楽しむ方法が自然にできあがっていることもよくある。

しかし管理する側、社員やバイト長なんかがもっと楽しい職場を作り上げるということに対して労を費やしたら、職場環境は劇的に変わるのではないか。楽しむ方向へ加速度がついて、小さな意見も拾い上げられるのではないか。禁止する方向ではなく容認する方面へ進んだりしないか?決定権をもった上司ってのは実は、自分がひたすら働いて下の連中からバカにされないということを意識するよりも、自分が何を決定・実行すれば彼奴らは楽しく仕事ができるのかを考えたほうがいいのではないか。文章にするとまどろっこしいが、そんなことが一瞬で頭の中を旋回する。そうだM君きみのいう通りだね。僕らはもっと楽しくする方法を考える必要がある。上司や年上は寛大さが必要だ。調整・激励・慰撫、それを合言葉にしよう。ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワンと連呼するようにだ。

これを書いているいま12時をまわって気づけばこの喫茶店は満席だ。半分近くは老人だ。真新しい太陽にフェンスをよじ登らせろ!というメッセージが耳に飛び込む。

海、山を繰り返し、時々町が顔を出す。ここは風情があるね、こちらは開けているけどチェーン店ばっかだな、やっぱり泊まりで来るべきだったなというM君に対して、いや明日バイト休めばいいじゃん、今日泊まって夜はしこたま飲んで、美味いもん食い散らかして君の好きな、お姉ちゃんがいる店にしけこんで地元のおっちゃんといっしょにスナックでカラオケでも歌おうぜ!と提案するが、いやー仕事は休めないっしょ、給料出たらまたきましょうよと言う。

これだから若いもんは・・・なんて口をつきそうになるが止めた。時代は変わる。僕らがフリーターになりたての時期、バイト先はいくらでもあった。フリーターはまさしく「自由」好きにできるという意味合いを持っていた。だから休む連中なんていっぱいいたし、それを周りのバイト同志でフォローしあってたけどな。その感覚がまだ完全に消えていない僕としては、このテンション、ほんの一瞬芽生えた気持ちにディストーションかけないでどうするんだお前!と思うけど。夢想家だった僕らはつねに新しい星座を探していたのだよ。脈打ちながら。その成れの果てがいまなんだけどね。

しかし景色には流浪という言葉がよくに合う。海沿いのカーブを流れるように走り、突然山の中に道は引き込まれ、そのまま油断しながら走っていくと、下り坂を抜けた先がまた海沿いの道に連なっていて視界は一瞬で祝祭的に開けてくる。流れに乗っていることの喜びがこれでもかとおそいかかる。景色そのものが自分を飲み込んでしまう。身を委ねる快感に満ちている。

そんなこんなを繰り返し夕暮れ、滑り込みセーフで僕らは灯台にたどり着く。車を停めて時間も止める。400m先にあるものは何だろうと思って歩く、しだいに小走りになる。腹の贅肉がぶるるぅんっと揺れる。着いた、完全に、踏んだ。真っ白な灯台の先に地平線、その先には想像上の世界が広がる。方角は無視してベニスの街を、リスボンの白を、アルゼンチンのつきぬけた荒野を、ツンドラの豪雪地帯を、カンヌのレッドカーペットを、南フランスのワイナリーを、スペインの港でぞんざいに手渡されるサバのサンドイッチを思う。煙草をふかす、写真も撮る。先客の高校生に見える彼は一人ぽっちで、登っちゃいけない灯台のへりに腰かけて、音楽を聴きながら携帯をパチパチ開いては閉じため息をついている。きっと恋が行方不明なんだろう。その動作は出されたかどうかわからない手紙を抱えて走るポストマンに早く早く!とけしかける彼の心の声だ。配達人はまだ到着していない。

帰りは海岸線のルートを離れ、山の中心を走る。街灯は消され、家が点在する暗闇に近い峠を越える。いつまでも続く勾配と蛇行。日常の感覚が麻痺してくる。夕方6時前だというのに閉まっている店も多い。山あいの温泉街はひっそりと息をしていた。誰かが少し大きな声を出したら、ひゅうっと風が吹いてそれをたしなめるような静寂を整理する街。

そしてまた日常に戻る。8時間だけの逃亡劇。逃げきれなかった僕はいつもの場所で飲み始める。アルコールで頭を溶かしながらも心は溶けないように体験のパラシュート部隊を記憶庫に着地させる。鍵は閉めない、いつでも登場してもらう。そしてその記憶に導かれながらまた逃亡したくなるのを待つ、というか自らけしかけるのだろう。俺は酔っちゃったら何もわかんないからさぁとカウンターにだらんとしているおっちゃんと、ワインメーカーで開発を担当している彼に挟まれて、何故葡萄だけがこんなに味わいの違う、多種多量の、他の果実では実現できないワインというものに変わるのだろう、なんて話をしながら。こちらの夜には静寂という言葉はない。


【今日の一曲】
ディア昔の人〜という歌い出しから始まるこの曲は感傷的なこの季節にはぴったりだ。時は優しい。そしてぎこちない。
http://www.youtube.com/watch?v=pejl5a98_PQ&feature=youtube_gdata_player

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